日記 2022.10.31

 

奇天烈且つ超絶不快な音で目が覚める。iPhoneのアラーム音。私は“フクロウ”に設定している。これがデフォルトで用意されているアラーム音の中で一番不快指数が高い。壁の薄いボロアパートでの食事中に不意に耳にしてしまった、腹の緩い隣人の排便音と並ぶほどに不快だ(かつて私は、それほどまでに壁の薄い豚小屋で生活していたことがある)。不幸なことに、惰眠のみが取り柄である私はこの音じゃないと目が覚めない。どうして、この不快極まりない音にあの愛らしい猛禽類の名が冠されてしまったのか。世のフクロウちゃんたちを心底不憫に思いながら、5分ごとに設定されたアラームを全てオフにしていく。上体をベットの下に引きずり落とす様にして布団の中から這い出ることに成功した私は、Amazonで大量買いしておいたお香に火を付けた。コーンタイプのデニムという香を二つ。リビングのローテーブルとキッチンに備えた。私が間借りしているゴミアパートは、通常“S字”であるはずの排水管が直線になっており、ご苦労なことに一階から私の住む三階まで人の営みを凝縮した臭気を運んでくれている。そのため窓を締め切って眠った翌朝には、タイのカオサン通りのような死臭で全ての活力を削がれかねない。だからお香が“二つ”必要なわけだ。

昨夜に作り置きしておいたキーマカレーをフライパンで温めなおし、炊飯器のご飯をステンレス皿によそう。私の家の食器は全てステンレスで統一している。深い理由はあらへん、昭和の給食っぽくてええやろ。若干焦げ目がついたぐらいのキーマカレーをご飯の上にぶっかけて100均で買ったバジルをかけて頬張った。昨日のカレーは上出来やな。でも、もう少しカルダモンが強くてもいい気がする。そうだ、スパイスを入れるタイミングを変えてみるか。ローリエの数を減らして、トマトジュースの量を増やしもう少し長く煮込んでみよう。

何千年も南アジアで親しまれてきたこの“カレー”という食べ物には心底感服する。こんなにも完璧な食事があるもんなんだな。かつて西欧の列強たちがこぞってこの地へとスパイスを求め大海原を、広大なユーラシアを旅したことにも頷ける。東西を繋いだ香り高い宝石たちは今、極東の島国のほぼ中心、兵庫県西宮市で金のない青年の五臓六腑に染み渡り絶対帝政を敷いている。四六時中カレーのことを考える傀儡国家とは私のことだった。

冷蔵庫の上に転がっていたハイライトメンソールに火をつけながら、冷蔵庫のセブンのアイスコーヒーをステンレスタンブラーに注ぐ。セブンのアイスコーヒーが一番不味くて目が覚めるんやで、ほんまオススメ。携帯を確認するととっくに2限の授業は始まっていた。本当に毎度、私の時間感覚には驚かされる。しっかりアラームをかけていたはずなのに、また授業に間に合わなかった。携帯をベットの上に投げると、別段焦ることも、落ち込むこともなくクローゼットから着替えを取り出した。友人の店で買ったリーバイス501を履いて、ポーランド製のニットに腕を通し、部屋がクソ寒かったのでフランス軍のジャケットを羽織った。“共和制のリベラル型共産主義者”の誕生だ。実際にこんな気色の悪いイデオロギーを持ったヤバ人がいたら後ろ指モノだろうが、日本の大学生の主義主張はそれに近しいほど無秩序でアナーキーなのでかなり面白い。今更自由主義だとか社会主義だとか古臭くてキモいよな。

さて、本日も例によって授業へ出席することができなかった私は、仕方がないので山積していた仕事を片付けることにした。おそらく私の部屋で一番高価であろうMac bookを立ち上げ、クラウドワークスのマイページへ遷移する。現在は、業務委託にてYouTubeチャンネルの台本を書いている。台本といっても名ばかりなもので元ある筋書きをリライト・肉付けして動画の尺を稼ぐ、かろうじて“創作”の体裁を保っているような代物だ。少し前に炎上で話題になった「ゆっくり実況」ってあったけどあの類。とはいっても、可愛らしい一頭身の東方キャラが
「ゆっくり霊夢です!」「ゆっくり魔理沙だぜ」
みたいな景気の良いものではなく、フリーの読み上げソフトとフリー素材をふんだんに(これまた本当にふんだんに)使っただけのお粗末な動画だ。扱ってる題材は2chのスレ。元スレを“スレ主”と“スレ民”の対話形式に書き上げ、読み上げソフトに読み上げさせる。驚いたことに今のYouTubeでは一番ホットな商材らしく、馬鹿みたいに再生回数が回る。ほんま馬鹿みたいに。どんな弱小チャンネルでも、上げたその日に万回回ったりしてて度肝を抜かれた。中一の頃からおーぷんやVIPでレスバを繰り広げていたキモガキkarmaを背負って大人になった私には馴染みのない、いや、理解できない文化だ。

2chスレ系の動画でも色々なジャンルがあって、感動系、ホラー系、おもしろ系、そんで“修羅場系”ってのがある。(余談やけど、実家に住んでた頃、日中帰宅すると定年退職した父親が24インチぐらいある馬鹿でかいディスプレイを備えたデスクトップPCで、感動系2chの動画を見ていたことがあった。ほんまにキツイ。)

小っ恥ずかしいが、私はこの“修羅場系”の台本を任されている。通称“泥ママ系”と呼ばれるこのジャンルは、その名の通り主婦、ママ友界隈で巻き起こる「ドロドロした目も当てられないような事件」が主題だ。私の知る限りではこの“泥ママ系”の動画が一番伸びる。どんな層が視聴しているのか。動画アカウントへのアクセス権限を持っていない私は、YouTubeアナリティクスを閲覧することができないので詳しい現状は分かりかねるが、動画にぶら下がっているコメントを見る限り30~40代が多そう。コメントの文体から推測するにTwitterの主なユーザー層と被るんだろうな。なんたる地獄。

百戦錬磨の“泥ママ”ではなく、品行方正、健全且つ真人間な青年である私は、言うまでもなく“泥ママ台本”の作成に悪戦苦闘している。伏線のギミックが思いつかないだとか、表現の機微に納得がいかないだとか、文壇にて輝く文豪の如く高尚な苦闘ならまだ格好が付くのだが、「本当にこんな無茶苦茶な台本でええんか…?」ってずっと不安なわけですよ。クライアントとNDA締結してるから詳しくは書かんけども、「このスレを元に最後全員熊に食い殺されるオチにしてください!」とか平気で指示書に書かれてるんやもん。だから台本自体の完成度はほぼ度外視されている。それでも回るんだ、泥ママ系は。文脈なんて一切関係ない。“勧善懲悪”、“破邪顕正”。オチでスカッとすればなんでもええらしわ。大岡越前とか水戸黄門が今でも人気なワケですわ。一瞬でも物書きを志した身としては、小さい子供に混じって英会話レッスンを受けるぐらい屈辱的…って思ったけど、無理難題を対処しつつ粗雑な元スレを“なんとなく読める”段階にまで肉付けする作業、結構トレーニングになるかも。

あれこれ考えながら3000回ほど投げ出しそうになってようやく8000文字の台本を書き上げた。次回の仕事獲得のためにも「今後とも何卒よろしくお願いいたします」的な、ビジネスマナー満載の丁寧に謙った文章を添えてクライアントに送信。そのあとすぐに「2度とこんな仕事するかボケ!」と怒鳴りつけながらPCを閉じた。

気づけば外は真っ暗。ADHDの症状で過集中してしまう私に、地球の自転が生み出す太陽の浮き沈み如きでは時間の流れを伝えることはできない。今日はハロウィン、バイト先で女装しなければならない。女装は良いよな。女性ものの衣服に身を包むだけでとんでもなくにエッチな気持ちになる。ただ、何も準備していなかった私はミニスカートから掘り出したばかりの山芋のような汚ねえ脚を露にしてしまっていた。誇張抜きで新品のタオルぐらいフサフサやねん。マジで客に申し訳なかった。みんな飯食いに来てるんやもんな。見てるだけでも口の中までモサモサするよな、ほんまごめん。案の定お客様にイジっていただけました。「お兄さん脚すごいっすね!」とか「めっちゃ濃いっすね!」とかならまだええんやけど、遠くの方から聞こえる「え、ヤバ…」みたいなの、一番堪えるわ。中学の時に女子バスケットボール部にいじめられてたことが鮮明にフラッシュバックした。すれ違いざまに「きしょ」って言われるやつ。“キモい”より“キショイ”の方が断然堪えるよな。なんか一個乗っかってるもん。

あーあ、マジで疲れた。こういう時はネットの海に逃げなあかん。家帰ったら5chにスレ立てよ、いじめられてた中一の時みたいに。